この世に善悪はあるのか 自己否定について
こんにちは
LINEがおしまいなので、通知は送りませんが定期的に書いていきますのでよろしくお願いいたします。
今回は、自己否定についての考え方について書いていきます。
途中で文章にするには不適切な表現があります。
例え話を例え話として捉えられる方のみお読みください。
自己否定のおさらい
自己否定は自分を蔑み、ダメな奴で嫌いな奴と考える事です。
その自己否定は、他人と比べたり、世の中のくだらない風潮や何の根拠も無い常識、誰かにとって都合の良い教え
このようなものと自分を比べてしまうから起こることです。
そして、その自己否定ほど無駄な時間はありません。
なぜならそれは幻想だからです。
みたいなことは過去の文章でもあるような話だと思います。
この世に善悪はあるのか?
人を殺すのは是か非か?
ここで話したい私の意見は「どちらでもない」という立ち位置です。
殺しを推奨するような内容ではないので、言葉を表面だけで捉えないようにしてください。
現在の法律上は罪です。なので悪です。
戦争中は罪になりませんし、推奨されるような状態です。
私は私の愛する物を奪われたら善悪関係なく殺害の衝動に駆られるでしょうし、実行して当然だと思います。
ここでの表現の意味は状況によって、善悪の意味って変わらない?という問いかけです。
あくまで例えです。
さて、もっと広い視野で見ます。
カマキリは交尾の後にメスがオスを食べます。
ライオンは群れを奪うときに、そこにいる子供のライオンを殺します。
同種が殺しをするという意味の話です。
自然界でもこのような事は行われています。
人間の世界でも、状況によっては善悪が変わります。
小さく弱い自己否定の根拠
というわけで、よりショッキングな話とより広大な自然の話を例に挙げてみました。
そうすると
女性は家事ができるべき→うまくできない、家事が嫌いな自分
男は仕事ができて強くあるべき→周りの評価が得られずすぐ落ち込む自分
人には優しくするべき→嫌いな人にネガティブな感情を向けてしまう自分
お金は大切に使うべき→無駄遣いをしてしまった自分
などなど、無限に自己否定は存在しますが
左の「べき」達は小さくないですか?どうでも良くないですか?そもそも誰が決めた?
このような思考の誘導をしたいがために大げさな話を出しました。
もしも、この世界に善悪という概念が存在しないとしたら
あなたがダメで、嫌いで、劣っていて、蔑みの対象にする根拠はありますか?
あなたはただそこに居る、在るだけです。
そこに良いも悪いもなく、誰かの基準の物差しで自分を測る必要もありません。
だから自己否定は幻想です。ただの思い込みです。
隣の芝生が青く思えているのは、おかしな色で世間を見るサングラスをしているだけです。
本来は比べるものではありません。
これまでの人生で見聞きしてきた
世の中のくだらない風潮や何の根拠も無い常識、誰かにとって都合の良い教え
に振り回される人生が終わることを祈ります。
ありがとうございました。