自己否定と赤ん坊
こんにちは
今回は自己否定について書いていきます。
自己否定をテーマに話しているときに、○○ができない、○○が苦手
“だから”自分はダメ
としてしまう方が多いです。
結論はあるがまま
自己否定の無い状態というのは、あれもこれもできて、あの人よりここが秀でている
などという条件無く自分を好きでいられる状態を指します。
好きでいられる
という部分を細かく表現すると
自分を受け入れ
自分を認め
自分を許し
自分を信頼し
自分を愛する
という表現になります。
では、今あなたはあるがままの自分を好きでいられているでしょうか?
そのままでOKですか?
私が普段のセッションで自己否定がテーマの時に皆さんにお聞きする質問です。
今のあなたの性格はそのままでOKですか?
今のあなたの容姿はそのままでOKですか?
今のあなたの能力はそのままでOKですか?
今のあなたの過去はそのままでOKですか?
この時に、そうでない部分を探してみるとたくさん出てくると思います。
その状態は自己肯定できていない状態です。
仮に、何かができない自分をダメだとしている自分がいるとして
本来はそれはダメではなく、ただ自分の感情がダメだとしているに過ぎないのです。
以前の記事の内容で、この世に善悪は無い・他人と比べない・常識や普通は幻想
などの内容を書いてきました。
なので、そのダメな自分はただの幻想なのです。
赤ん坊
基本的には、○○ができない自分はダメ、○○でない自分はダメ
としていると思いますが
何かができるから自分は素晴らしいわけではありません。
何も無くても本来は素晴らしいのです。
何もできない存在の代表例が赤ん坊です。
では、多くの方が自己否定に陥っている原因である「これができないからダメ」という原則で考えてみます。
何もできません。
呼吸と泣く、四肢を動かす
程度の物ではないでしょうか。
もちろん歩くことは疎か、立つことすら、座ることすらできません。
言葉を話す事も文字で思いを伝える事もできません。
しかし、そんな赤ん坊は価値が無く、ダメな存在でしょうか?
そして、そんな赤ん坊に比べて(本来他人と比べてはいけません)あなたはできることがいくつありますか?
赤ん坊には、そこに存在しているだけで価値があるわけです。
それはあなたも同じです。
ただ存在しているという事に最も重要な価値があるのです。
存在していることを当たり前な事だとして、不足している所ばかり見ているんです。
人にどう思われているかで生きているから自分を肯定できない。
自分の価値を自分で決めずに他人の物差しを使って自分を測っているといつまでたっても
これができるから
あの人よりこれができているから
世間的によりこれができるから
という観点で自分の価値を測ってしまいます。
そうすると、結局他人と比べたり、常識や普通という言葉に縛られ
本来の自己肯定にはなりません。
そして、自分の物差しで自分を測るのでもなく、そもそも測らないというのが正解なのではないかと感じています。
ただ自分という存在がそこにあり、それは当たり前のことではない
ここに尽きるのかと思っています。
そもそも、なぜ自己否定がいらないのか?
自己否定はいらないといつもお話しさせていただいています。
そもそもがストレスになってしまうというのが、まず一番大きいです。
ダメな自分、あの人よりできない自分
こんなことを考えている時間がストレスですし、もったいないです。
次に、素直な自分がわからなくなるという点です。
素直な自分が望んでいることを叶えてあげられなくなると言い換えてもいいかもしれません。
急に憧れや夢、目標ができたとして
自己否定している自分はそれを叶えられますか?
これがしたい!
でも、どうせ
自分なんかには無理だろうな
こうやって諦めてきたことがいくつあるでしょうか?
そして、いつか病床に伏せた時
こんなことになるならあれをしておけばよかった…
と後悔すると思います。
肯定してあげられる大好きな自分の為なら情熱を燃やして熱中できることに挑戦してみたくなるはずです。
そして、そのような日々はきっと笑顔が増えていると思います。
ありがとうございました。